59歳になる
- 5月13日
- 読了時間: 2分
今日も一日ふり幅の激しい一日でしたが、そのふり幅に翻弄されることなく、真ん中に据え置くべきものを置いて何とか乗り切りました。
ニャンと、今日で59歳とな。
別に若作りもしてないし、年齢なんてただの数字くらいにしか思っていないので、まったくもって、実感、自覚ナシ。未だマインドは中学3年生のまんま、でもフィジカルは加齢と共に劣化。
そもそも人生設計的なもの持ったことがないので、自分がこの年齢に達するとは想像もしていなかったのです。
年金も老後も終活も全く興味がないのです。見て見ぬふりをしている訳ではありません。
そういうこと、主に「老いという恐れ」に支配されて今を疎かにするのがたまらなくイヤなだけで、今この瞬間に生きているなーという実感を得たい。ただただそれだけで生きています。
ニンゲンを不自由にしているもののひとつに「時間」という超絶曖昧な概念があると思います。日常会話でもよくあることですが、「時間ある?」「時間ないのでスイマセン」とか「もうこんな時間だね」とか、とにかくニンゲンというのはこの「時間」というものが毎日、常に横にあって支配され翻弄されているのです。
犬もネコも他の動物には「時間」という概念も「年齢」という概念もありません。あるとすれば季節や天候、昼夜などに呼応して細胞レベルでそれがインプットされており、「今」この瞬間を生きているだけ。僕はそうありたい。
例えば今12:00だとしても世界の何処かは時差があって日付すらズレている訳で、そのくらい曖昧でテキトーなものにニンゲンは振り回されているということです。
オマケにニンゲンは自分が生まれて来たことも自分で認識出来た訳ではないし、自分の死でさえ自分ではなく他者によって確認される訳で、そう思うと本当に確かなことは今この瞬間にしかないという事です。
なので、僕はこの瞬間に五感で生きているという実感を得たい。ただそのことのために生きているといっていいと思います。
50代最後の誕生日にガンに侵されている父親とも逢って、たっぷり会話できました。
互いに「生きてるなー」という実感を得られて、良い一日、良い誕生日でした。
ひとつひとつの物語を丁寧に紡いで行きたい。何となく上書きするのも、されるのも嫌です。
白黒ハッキリさせたいというのも違う。曖昧で不確かでいいけど、丁寧に美しく物語を紡いでいきたい。この一瞬にすべてを注ぎたいなーと。

アルコール控えめにしているのに、沢山のウィスキーが(笑)ありがとー。





















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