days
- pan-farm
- 10月3日
- 読了時間: 3分
今日も函館の空は何処までも青く、広かったです。
でも、10月とは思えないほど暑い一日でした。
日の出から夕暮れまでが就業時間なので、日に日に陽が短くなるこの頃は、1日があっと言う間に終わってしまいます。
はてさて、父ちゃんのニャンコ生活回想録。
そもそも僕はニャンコ、どちらかというと苦手だったのだ。避けて来たといってもいいくらいに。
それは幼少の頃に遡る昭和40年代のお話です。
今はもう取り壊してなくなった実家の裏には「はらっぱ」があったのです。
そこは近所の子供たちにとってはワンダーワンドのような場所で、三角ベース(知らないか)、かくれんぼ、自転車での暴走、虫取り、段ボールでの秘密基地作り、冬は雪合戦、でっかいかまくら作りとか、まぁありとあらゆる遊びがそこで行われていたのです。
秘密基地では皆で子犬(たぶん野犬だよね)を飼ったり、野良猫を飼ったりしていたのです。
ある日、そこで飼っていた猫の1匹が姿を見せなくなり、みんなで数日探しまわったのです。
そしたら、友達の一人が「車に轢かれて死んじゃってる」っていうんで、みんなでその現場に行ったのです。そこにはみんなで可愛がっていた猫が車に轢かれ、無残な姿で横たわり、数羽のカラスがその猫を突っついていたのです。
それを見た少年の父ちゃんは、何とも言えない悲しさと恐怖を味わい、猫の運命はこうなるんだと知り、それ以来、その出来事は思春期が終わるくらいまで父ちゃんのトラウマとなっていたのです。
大人になってからはそのトラウマもようやくなくなったけど。
でも、車を運転する人は一度や二度はあると思うけど、僕も車を運転するようになってから、何度か轢かれている猫に遭遇しては、あの時少年だった頃の映像がフラッシュバックするのです。何処かの家に行って、ネコちゃんがいる分には自分から距離を置いていたので全然構わないって感じくらいには成長したけど。
それが、今から13,4年くらい前の事だと思うけど。
家から畑に行くその角に、見るも無残な姿の猫が横たわっていたのです。
ちょっと目をそむけたくなるような、かろうじて息をしている瀕死の状態で。
少年時代のトラウマが蘇り、どうすることも出来ない僕は見たくないという気持ちが勝り、その日はスルー。
翌日は雨。畑に向かう道すがらまだそこに横たわる猫。さすがに見て見ぬ振りもできず、車に積んであったビニール傘をさしてあげることしかできなかった父ちゃん。
さらに翌日。まだビニール傘の下で息をしている猫。そのまま抱きかかえ、作業小屋の下に寝床を作り、コンビニに走り餌を買い、水を与えた。食べる様子はなかったけれど、そうする以外の方法が僕には見つからなかった。
翌日。餌と水は空っぽになっており、その横でその猫ちゃんは息を引きとっていた。
僕はその猫を抱きかかえ、畑の隅に穴を掘り、近くにあった草花を添えて「化けて出てくるなよ」っていう言葉を発してその猫を埋めた。
数年後、その猫ちゃんを埋めた場所に何故か栗の木が生え、今では大木となり立派な栗が毎年生るようになった。
そしてあの猫ちゃんを埋めて以来、一度も車に轢かれている猫を目撃しなくなったのである。
そんな父ちゃんに何故、「グレちゃん」「マメちゃん」「ムギちゃん」と立て続けにやって来てくれたのだろう?
「ムギちゃん」はあっと言う間にいなくなってしまって星になったけど、何を伝えに来てくれたのかな?父ちゃんは「グレちゃん」「マメちゃん」と何とか楽しくやってるよ。

























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