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  • 8月14日
  • 読了時間: 3分

連日、じゃがいも掘りでヘロヘロリン。9月初旬まで続きます。


お盆ですね。日暮れ前、幾つかのお墓参りに。


かなり広い墓園。

ここ数年で顕著になっている気がしていたけれど、半分くらいのお墓には花が手向けられていた様子も、誰かが来て行った様子も見られなかった。函館には「7月盆」という風習もあるからかもしれないけれど、所謂「墓問題」「墓じまい」みたいなことなんだろうなーと。


ここ数年色々あって、自分の死生観が随分と変わったような気がする。

今年の春には長らく納骨堂にいた叔父の散骨をしたことも少なからず影響しているかな。

彼は生涯独身、家族を持つことなく定職に就くこともなく自由気ままに生きた。

つまらないことで塀の中にもお世話になったし(笑)、ハチャメチャな人ではあったけど、僕は大好きだったしとっても影響を受けていると思う。


病に倒れて胃ろうになって介護が必要となったときに、僕がキーパーソンとなって、結局遺骨も僕が預かることにした。生前、彼は「散骨して欲しい」とは言っていない。

お寺の暗い納骨堂にいることに意味はあるのかな?と思ったのは僕で、彼が生まれ育った場所へ散骨するのがいいだろうと勝手に思って、そうした。

「叔父さんよ、暗い納骨堂よりこっちのいいだろ?」


ちなみにかれこれ20年前、僕が家を建てる際に色々場所探しで迷走している時、叔父はこう言った「おー、それならオレの家の横にがっぱり土地が空いてるからそこに建てればいいべや」と。そんな訳で、僕はここに住むことに。


僕も子供がいる訳じゃないし、墓なんていらない。墓石の下に眠るより、土に還ったほうがいい。海はあまり縁がないし、溺れそうなのでイヤだな。何なら畑で生き倒れて、そのままクマやシカやキツネやカラスに突っつかれてもいいかなくらいに思っている。

それをあんまり悲惨だと思わなくなったというか、そうやって朽ちていくのがむしろ自然の一部、動物として全うした感じがするなーとか。

いずれにしても、死んでからの事をあーだこーだと考えるより、明日がやって来ることは当たり前ではないから、ダラダラと今をやり過ごして行くのだけは止めようと。


先日バイク事故で亡くなった本当に心から大好きなグレン・ハンサードの葬儀の様子がアップされているのは知っていたんだけど、なかなか観る気になれなくて。

ここは日本だし日本人の僕はお盆に合わせて観ようと。


何と言うか、彼の音楽と同じく心の一番深いところに響いてくる。

深い悲しみと、祝福と、感謝と、リスペクトと、友情と、愛と。そういうもので満ち溢れていて、それは彼が生涯捧げたものと同量、もしくはそれ以上なんだなーと。


改めて心からありがとー、グレン。


 
 
 

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