親愛なるソウルメイトへ
ソウルメイト。
ソウル=(魂)の、メイト=(伴侶)。
そんな人はいますか?もちろん多くはないけど、数名います。
今日、その一人が自分で考え、悩み、決断して僕と袂を分かちました。
「どうしてこうなったのか分かりますか?」と言われても、僕にはわかりません。何故ならそれは、その人が自分で考え、悩み、決断したこと以外に他ならないからです。
「どうしてこうなったのか分かりますか?」と僕に投げかけられても分かりません。もちろん責任の半分は僕にもあります、魂の伴侶ですから。それでも、それぞれにそれぞれが自分と向かい合い、自分の中の矛盾と至らなさに向かい合い、それでもリスペクトと感謝を伝え、それぞれの未来を祝福する。それが、人として大人として課せられた未来への使命だと僕は思うのです。
魂ですから、男とか、女とか、そのどちらでもないとか、年齢とか、国籍とか、民族とか、夫婦とか、既婚者とか、妻帯者とか、恋愛感情とか、金持ち貧乏、統合失調症、発達障害、エンパス、HSP、エトセトラ。そんなものは何も関係ありません。アナタハはまるごとそのままアナタで、僕はボク。属性を正しく理解しながら、あらゆる属性とは何も関係なく、それらを超越したところで理解・尊重し合える人。
逆に言うと、その人のあらゆる属性に目を奪われてフォーカスしていては、魂で触れ合うことには辿りつけないと思います。
もう、2,3年経つのかな?とても大切な「ソウルメイト」が、厄介でバッドなヴァイブスに巻き込まれました。ただでさえ、子供の事で長年疲弊していた姿を見ていたので、何とかそのバットなヴァイブスから遠ざけ、人生には別の道、「魂を磨く道」があるということを僕の拙い経験と言葉で、あらゆる手段を使って伝達しました。
僕の拙い経験と言葉が尽きたところで、最終手段は「フィンドフォーン」に関する書籍3冊。これは僕がどうしようもなくゴミ、虫けら以下だった1995年、27歳、ほぼ全身の血が入れ替わったような気がした書籍で、実際そこから人生を大きくシフトして浮上できた書籍です。この本に出合う偶然や必然やタイミングは長くなるので、またいつかの機会に。
僕はこの「フィンドフォーン」に関する書籍3冊を、これまでに3人に贈ったことがあります。3人ともなかなか出口が見つけられずに喘いでいた、ここぞという僕が思うタイミングで。その後、その3人の人生がどう転がって行ったかは、これまた長くなるので割愛するけど、おせっかいだったけど本当に贈ってよかったなあと思っています。
で、その大切な「ソウルメイト」にも、ここぞというタイミングとクリスマスがマッチしたので、クリスマスプレゼントとして贈りました。クリスマスと年末年始でゆっくりと読んでもらえれば、新しい年は新しい扉が必ず開くことが分かっていたから。
この本を読み終えた人は、割とすぐに大きな行動・マインドの変容が見られますが、日々の忙しさに忙殺されてか、あまり大きな行動・マインドの変容は見られず今日に至っています。
ここ最近、またその「ソウルメイト」にバットなヴァイブスがどっーと押し寄せて来たのです。しかも前回と同じような人間模様と構図で。確認はしてないし、勝手な想像だけど、多分僕がクリスマスプレゼントとして贈ったその書籍は読破してないんだろうと。
バッドなヴァイブスに巻き込まれるのは、多くは自分の行動やマインドに起因しているということ、決してそれを撒き散らしているほうに目を奪われてはいけないし、自分自身の内なる心と真摯に向かい合わなけば、また必ずそのバットなヴァイブスはあっと言う間に押し寄せてきます。
僕のことを「ソウルメイト」と言ってくれたその人は、あらゆる属性とは無縁で、それらを超越したところで、自分の魂も僕の魂も見ていて、感じて、触れていたのだろうか?
少なくても僕は、その人を「まるごと全部」として見ていたし、その人の背景やあらゆる属性や、こまごました些細なことなどはどうでもいいと思っていたのだが。
その人はまた同じようなヴァイブスに呑まれながら、違う道を選んで行きました。
僕にできる事はもう何もないけれど、もしまだ「フィンドフォーン」の書籍を読んでいなかったら、いつかの機会にでもページをめくってもらえたならと心から思います。僕も今一度、自分への覚書と、戒めとして読み返してみます。
全部1994年と1995年の初版だね、当時東京のマンションでくすぶってたところに唯一の光だった。最初のページに、師匠マイク・スコットのサインがある。これも1995年。
LOVE。
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