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  • 1月30日
  • 読了時間: 4分

いつも書いてますけど、政治に無関心ってことは自分の人生、生活、住んでる街、親や子供の人生に無関心って事と同義だと思っています。僕が関心ないのは政局ってやつですね。

誰の何のための選挙なのかさっぱりわからんし、立憲と公明が合併して中道って、すごいね。何でもあり。


でもその何でもあり、政治の世界だけの話ですかね?裏金やらカルト教団とズブズブ、それでも与党第一党が変わらないって、「まあ良くはないけど会社や組織や社会って綺麗ごとだけじゃないしね」って、多くの人がそういう感覚だから選挙結果もそうなるんじゃない?

ちょっとした組織にいた人ならわかると思うけど、「昨日の味方は今日の敵」みたいにあっさり手のひら返しで長きに巻かれて行く様を見たことないですか?メチャクチャ安っぽい言い訳じみた大儀みたいなものを振りかざしてね。

今や何の組織にも属していませんが、かつていくつかの組織に属した時、必ずこういう政治の世界と同じようなことが起こりました。

要するに我々の世界が政治の世界にそのまま反映されているって事、別世界ではなく地続きってことです。政治が腐敗してるって言うのは都合のいいすり替えのような気がします。ボクやキミのスピリット、マインドはどうなんだい?という話。


僕の近くにいた人は良く知ってることだけど、僕はどの組織でも孤軍奮闘、常に戦っていたんだけどそれは組織と戦うことが目的ではなく、YesであれNoであれ自分の声に忠実にモノを言ってその通り行動するが故、結果として自分の声を封印する大多数と戦う事になったという事です。

孤軍奮闘と書きましたが、少なからずいつも援軍がいたのも事実。言葉にしてその言葉通りに行動して目に見えて結果を出すと、少なからずそれに賛同してくれる人がいます。

しかし集団とか組織っていうのは大抵そういうものを潰しにかかります。稀にそこを救い上げてくれる上司なんかもいますが、人事異動でその上司がいなくなるや速攻で潰しに来たりね。

でも僕は見抜いていましたよ。本当はキミやアナタも「これは違う」という心の声に蓋をして集団と組織の論理に屈していたことを。だいたいそういうニンゲンはまともにこちらの目を見れないんです。

自分のようなニンゲンが集団や組織にいることで何がしかの意味があったり、マインドチェンジのきっかけや問いかけになるかもという思いがモチベーションだったりもしましたが、ある時ふと、「集団とか組織とか飼われていることとか、そこで戦うこととか、もういいじゃん」って自分の声がそう言ったのです。


集団や組織ではなく、「個」として生きている者同士、誰に飼われることもなく魂の連帯をしていけばいいじゃんと。


「個」として生きている人って主語がデカくないんですよ。主語が常に一人称なんですね。だから意見や考えが違ったとしても後腐れがない。逆に主語がデカイ人って「私は」とか「僕は」とは言わず、「みんなは」とか「一般的には」とか「組織は」とか「国家が」とか「社会が」とか「常識的には」とか、常に大きなものに擦り寄ってそれがあたかも個人の意見のような言い回しで社会全体の意見かのように言う人ですね。

これがどんどん加速して集団化していくと、所謂「同調圧力」が強まり、いつしか個人の尊厳が奪われる社会になると僕は思っています。

あるでしょ?アナタの会社や組織でも誰に強制されるでもない無言の「同調圧力」。全体主義とかナショナリズムとか排他主義とかってそうやって生まれるんじゃないのかな?


今の大国のリーダーたちを見て下さい。昔だったら独裁者と呼ばれるような人達ですよ。

多くの人が一人称で考えなくなりデカイ主語を使うことで自分たちの手で後押して生みだした結果だと思いません?トランプさんも早苗ちゃんも天から降って舞い降りたのではなく、そうやって生み出されたのだと考えることは出来ませんか?


テレビもスマホもSNSもアナタ以外の声で溢れています。世の雑音を遮断して、なるべく一人になって心の声を聴いて一人称で語るようにしないと、色んな意味で本当に危機だなーと僕は思います。


先日のミネアポリスでのトランプの暴挙を受けて、ボスが速攻で世に問いました。日本語訳も検索するとすぐ出てきます。


 
 
 

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