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R.I.P

個室の病室に駆けつけたら、医師が死亡を確認していた。


吹雪の中、車を飛ばしたけど、たった1分、間に合わなった。


互いにその1分を悔いるような生き方だけはしていない。けど、悲しいというよりも、寂しい。


だって、つい数日前、会った時は必ずそうるように、夜中まで飲んでしゃべり倒していたんだから。


いつだって、自分の「生」を本気で見つめ直すきっかけは、誰かの「死」でしかないし、いつも誰かの「死」の上に、自分の「生」がある。


いったいどれだけ今日という日を明日に先送りして引き延ばせば気が済むのだろう?

今日という毎日をどんなマインドとスピリットを持って生きるのか?

大切なのはそれだけのはずなのに、いつもすぐに忘れて、日常に戻り、誰かの「死」でまたそのことを思い出す。


スマホを開けば何もかも答えを引き出して理解したような「つもり」になっているけれど、ニンゲン誰一人、自分が生まれた時の記憶すら自分で理解することも出来ず、誕生日という数字の羅列でしか確認できない。

死を覚悟することは出来ても、死んだことを自分自身で確認することもできない。

自分で自分の「生」を確かめる唯一の方法、確かなことは「今、この瞬間を生きている」ということだけ。


平均寿命とか、人生100年時代とか、本当にいったい何の意味があるのか?

周りがどうこう言おうが、自分の声に偽らず、悔いなく全うしたかどうかは本人にしか分からない。


物語の続きは、僕の心の中で書き加えられていくんだと思う。


心からのありがとうを。



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