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days

「憎悪」と「疑念」の眼差し、表情、顔が、毎日何度も何度も襲ってくる。


それらを振り払う一番いいと思われる方法は、自分なりに知っている。


ヘトヘトになるまでフィジカルに負荷をかければフィジカルが心の弱さを負かしてくれて心の痛みは消えるのだが、そもそも冬山で度を超えてそんなことを繰り返したが故に体を壊したのであって、今はそれはできない。


自分もかつて、誰かに同じような「憎悪」と「疑念」を向けたことがあっただろうか?と反芻する。


ニンゲン自分が受けたことは覚えているけど、自分がしでかしたことは都合よく忘れるから、もしかしたら今も何処かで僕が向けた「憎悪」と「疑念」で苦しんでいる人がいるのかもしれない。


自宅と隣の別宅には、それぞれ巨大な「浄化槽」が埋め込まれていて、日々排出される生活排水(台所、お風呂、トイレ全てです)を微生物の皆様方が「汚泥」と「浄化された水」に分けて下さっている。点検業者が定期的に清掃を行い、溜まった「汚泥」を処理してくれる。


心の奥深くに自分で「浄化槽」を設置しようと。


生きていれば誰だって、不意打ちにあちこちから生活排水が流れ込んでくることがある。


「これ、あなたが勝手に生み出した生活排水でしょ」と投げ返すのは大人のやることじゃない。ましてや、関係のないところに横流してバッドなヴァイブスを拡散したところで、世界にそれを撒き散らすだけ。


自分の心の奥深くに設置した「浄化槽」でそれを処理するしかないのだ。

溜まった「汚泥」は業者さんが処理してくれる訳じゃない。溜まり過ぎるとその「汚泥」でまた自分が窒息して、せっかく設置した「浄化槽」が機能マヒしてしまうから、ある程度溜まったなら、その「汚泥」を自分で取り出し、処理する。


取り出した「汚泥」を捨てる場所は、出来れば深い森や山や川や海、人がいないところでいいと思う。声に出して「ありがとうー」がいい。

そうやって何とか自分の浄化槽で格闘しながら処理した「汚泥」ならば、自然や地球や宇宙はきちんと受け止めてくれるよ、きっと。限りなくエゴを削ぎ落とし、謙虚に生きていれば自然や地球や宇宙はそれなりに応えてくれるってことは畑や雪山から学んできたんだし。

そして「汚泥」と共に分けられた「浄化された水」は、まずは自分で飲んでみるといい。

完全に浄化されていたなら、それは良きヴァイブスとして周りの人々に分け与えたらいいと思う。そうすれば、良きことが循環するはずだよ、きっと。


さあ、そうやって少しずつ前に進んで生きて行こう。人は汚れた分だけ気高くもなれるはずだから。



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