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記録的な豪雨が去って、お盆は少しだけ太陽さんが出ましたね。
でも、今夜から明け方にかけて風を伴ってまた強く降るようです。
車が浸水しないように心から祈ってます。
Web shop「季節のやさい箱」、たくさんのオーダー、本当にありがとーございます。
発送までかなりお待ちいただいておりますが、どうかご理解いただければと。
畑は、必死でなんとかしようと試みてますが、ここまで湿気が多いと圃場の修復はなかなか思うようにはいきません。
「さあ、雨が引いたので機械でウリャーといくぞー」と思うとまた雨なのです。
玉ねぎの収穫も、本来なら数日晴れの日を狙って畑で少し放置して乾燥、それから束ねて吊るすという作業をするのですが、今年はそれが出来なかったので、作業小屋で24時間扇風機とサーキュレーターをフル回転で乾燥中。
加えて、初老のオッサン。ぎっくり腰と、もう人生何度目か分からない尿管結石の激痛と、国内300人位しかいない激レア難病の再発とその合併症と。何気に満身創痍なんでござりまする。
それでも。自然であれ、人であれ、組織であれ、何であれ。
ある種の理不尽を浴びた時の、それを受けたその人のマインドが全てなんだと思う。
悲しんでもどうにもならないし、嘆いてもどうにもならない、恨んでも憎んでも怒っても投げやりになってもどうにもならない。
もう一度。
自然であれ、人であれ、組織であれ、何であれ。受け取ってばかりの「ありがとー」ではなく、どんな理不尽に対しても自分がそれらに対してどんなマインドで何を返せるのか?ニンゲンの在り方としては、それだけなんだと思う。
終戦記念日ですね。
もともとテレビは殆どみないけど、僕はもう、まったくここ数か月で全くテレビを観ない人になりました。
お盆、原爆投下の日、終戦記念日。
日本の夏は静かに、多くの先人達の死に寄り添う夏なんだと思います。
以下は、「フィンドフォーンの花」(アイリーン・キャディ著)の中で、アイリーンがインドでの平和国際会議でスピーチした内容を転載しておきます。長いけどボクやアナタ、すべてのニンゲンに課せられた毎日の宿題として。
・・・・「私はもちろん、世界の平和を望んでいます。でも、私にできる事は何もありません。私は一人の人間にすぎないから。そういうことは政治家にまかせます」と。
そして、どうするのでしょう?私達は自分の小さな殻の中に隠れ、世界平和の問題を背後に押しやってしまいます。なぜなら、自分には力がないと感じているからです。
一人の人間としての私は、何が出来るのでしょうか?私の責任は何処にあるのでしょうか?世界平和について話をすることはできますが、それで平和を実現できるわけではありません。世界平和について書き、パンフレットを送り、平和行進に参加することもできますが、それで平和をもたらせるわけではありません。大きな国際的な平和会議を開催することもできますが、それで平和を実現できるわけではありません。
私達はみな平和を望んでいるのに、どこかで間違っているのです。上から始めるのではなく、基礎から始めなければならないのです。
私達は自分が望む思う通りのものになります。国は国民が思う通りのものになります。もし、国民全体が攻撃的かまたは防衛的であれば、必ず戦争が起こります。国民、私達一人一人の中に、妬みや欲や憎しみ疑念があると、どんなに平和を口にしようと平和はやってきません。
国全体の考え方と意識を変えれば、その国の外交政策も変わります。「意識の変化」によってのみ、世界を破滅から救うことが出来るのです。人にお説教したり政府を批判しても無駄です。変わる必要性があるのは他の人々ではなく、私達自身なのです。
世界平和の実現は一人一人の「内」から始まります。私とあなたの内部から始まります。それはプールに投げ込まれた石のようなものです。波は外へ外へと広がって行きますが、それは「真ん中」から始まるのです。
私達は今すぐにでも、平和のために始めることができます。私たちの心の中を静かに見つめましょう。あなたの人生に何が起こっていますか?家族やお別れした恋人との間に何が起こっていますか?怒り、憎悪、疑念、妬み、あなた自身が生み出したそれらのことで、その関係はどうなるのでしょう?こうして平和が壊され、戦争が始まります。自分の毎日の生活に平和をもたらし、まわりの人々を愛することを学ばなかったら、どうして世界に平和をもたらすことが出来るでしょうか?
私達はみな、病気の一部にも、癒しの一部にもなれます。他の誰でもなく私達次第なのです。世界中に、怒り、憎悪、疑念、妬み、否定的なものが満ち溢れています。新聞やテレビを観れば、否定的で破滅的な考え方がどっと流れ出してきます。こうした考えに対するあなた方の反応が非常に大切です。その考え方を吸収し、気を滅入らせて、ついにはあなた方の周りの否定的なものの一部になってしまうこともできます。または、その状況をあなた方の愛で満たし、それを変えていくこともできます。
あなたの内なる光が十分に強くないと、否定的な思いは黒雲のようにあなたを包んでしまいます。あなたの光をいつも輝かせおきましょう。一人でも多くの人がそれを実行し、その重要性を悟れば、それだけ否定的な力と暗闇が消え、平和が地球に訪れます。ですから、光を輝かせ、私たちの内なる光をもっともっと強く輝かせましょう。
平和な人は戦争に抵抗せずに、平和を実践します。もし、私達がどちらかの味方をすれば、それは攻撃を仕掛けることになります。個人レベルでも、防衛の姿勢は戦いを誘発します。
何故なら、心の中ですでに戦っているからです。平和は戦い取るものではありません。自分の心の中の平和を達成しないと、平和の本質を理解することはできません。心の平和を実践するのは、絶え間ない祈りです。この作業を私は「心のワーク」と呼んでいますが、私たち全員、常に行う必要性があります。これこそ、平和をもたらすものなのです。
平和の真の意味を理解するために、外見から目をそらし、目を閉じて静かにします。感覚を静め、深い呼吸をします。平和な想いが意識に流れ込むに任せます。心を愛と感謝にみたされてゆくままにします。あなたの愛を世界に注ぎ、世界が喜びと平和に満たされる様子を心に描きます。朝、平和な気持ちで一日を始める練習をしましょう。平和な想いで目覚め、それをその1日、平和な想いで過ごしましょう。
愛なくして調和はありません。愛は全てのドアを開ける鍵です。愛は全ての傷を癒す香油です。愛は闇を照らす光です。愛はすべてを引き寄せ、全体を成し、ワンネスを創造します。
愛は私達に、自分の才能、助力、命を人に与えたいという気持ちにさせます。愛は生きる価値を与えてくれるのです。
愛のあるところ、平和があります。お互いに愛し合えば、遠くに離れて、相手の生き方、宗教、儀式、伝統等を批判したりしません。自分の中が平和であれば、他の人を変えようとはせず、お互いの違いを恐れることはなくなります。
リラックスして心を平和で満たし、すべての人々とひとつであると感じると、私達は外的な世界を超越して、まったく分離のない中心への達します。そして、自分の中にこうした変化が起こると、自分のまわりの人々にも同じ変化が生じたことに気が付くでしょう。
私達の心が完全に平和である時、すべての対立は消え、私達は愛を通して人類を見るようになります。そして、神の目から見れば、すべてがひとつであると知るでしょう。神は愛だからです。私達は自分達の思う通りのものだ、ということを思い出しましょう。私達は自分の思う通りに創造するのです。私達は本当に、神の共同創造者なのです。
My new bedroom
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