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days

書くことででしか消化できないことがある。というか、消化も出来ていないと思うけど。


「空気が読めない」ほうではない、とは思う。むしろ、長年時間を共にしてきた人なら、「顔」とか「空気」で分かったりする。


居ても立っても居られず、ただ「ありがとう」を伝えに行った今日のその「顔」には、「怒り」と「憎しみ」と「疑念」しか表われていなかった。一番猛烈に放出されていたのは「疑念」。


どうしてそこまでの「怒り」と「憎しみ」と「疑念」を向けてくるのか、全く僕の理解と想像の域を超えてしまっている。


振り返ってみると、時々で「疑念」までとは行かなくても、「常識」や「一般論」や「フツー」という物差しで「人となり」を計られてきたことがあったように思う。


「一般論」や「常識」みたいな物差を持って、「そんなわけないでしょ」、「フツーはそうでしょ」、「そうなんでしょ」、「そうなんだもんね」みたいに、言われることは多々あった。そこに「憶測」と「疑念」重ね合わせて、ほぼありもしない事実認定されたことが多かったかもしれない。


途中から説明したり反論したり言い訳がましいことも面倒くさくなって、口を噤むようになってしまった。そして、その口を噤むようになってしまったこともまた良い方向には作用しなくなってしまった。もちろん、傷付けないための小さな「ウソ」はいくつかある。


ただいつも、「オレは多分フツーじゃないし、一般論で片付けられない到底理解してもらえないだろう事案も抱えてるし、何かの形や枠に収めて語って欲しくないし、ただただオレはオレで、あるがままの自分」。心の中ではいつもそう思っていた。故に僕も信頼したニンゲンには「まるごと全部」として見るようにしている。「疑念」「疑い」を自分の中に宿してる、そういうフィルターを通して他人を見ている自分が嫌だし、そういう自分に僕は耐えられない。


基本的に僕は「疑念」や「疑い」から始めない。て、言うか始めたくないし、そういう自分が嫌だし、そういう自分にほんとうに耐えられない。そもそもそういう匂いのする人には接近しないし、モーレツな「近寄るなオーラ」も発する。


けれど審美眼の精度もまだまだ発展途上ゆえに、「信頼」から始めて後から思いっきり踏み倒されたことは多々ある。しょっちゅうある。一昨日も申し訳ないけど信頼から始めたアルバイトさんに辞めていただいた。「見る目がない」と結構言われるけど、それでもオレはシンパシーを感じたニンゲンには「信頼」から始めたいと思っている。後出しジャンケンのように、相手の信頼を担保してから自分が信頼するのは人としてフェアーじゃないし、自分から対等という立場を崩していると思うから。


例えが正しいかどうか分からないけど、町内が「セコム」だらけの街というのは誰も隣近所を信頼していないということと同義だから、オレはそんなところには住めないし、もし仮に住むことになったとしたら、孤軍奮闘「セコム」は利用しない。


「疑念」や「憶測」は、自分の中で生まれ、自分自身の心がそれを育て、自分の中でウィルスのように増殖と変異を繰り返し、自分の中で事実認定となって、他者を自分の都合の良い解釈で決定付けてしまう。そこには必ず、「こうであってほしい」「こうに違いない」という自分の中の常識や一般論、経験則という枠に収めようとする自分が存在していると僕は思っている。コロナを見て思いませんか?自分の都合のいい解釈や希望的な観測が事実を上回ってしまっているということを。


他者は決してその枠には収まらないし、収めてはいけない。僕も何かの枠や憶測や疑念で語られたくはない。


フタを開けてみれば自分自身が勝手に抱いた「疑念」や「疑い」が事実とは全く違っていて自己嫌悪に陥る、そんな経験を20代の頃に本当にたくさんしてきた。

人として本当に未熟で愚か。まあ20代、致し方ない。

今思うと、愛や信頼やリスペクトなんて、たくさん口にしてきた自分が嘘臭くて逃げたくなってしまった20代。


当時のガールフレンドから「濡れ落ち葉」に「かかし」に「クズ」と言われて、ハタと目が覚めた30代目前。そのガールフレンドには今も本様に心から感謝している。何処でどうしているかなんて知らない。知ろうと思えば友人を通して知ることが出来るけど、心の奥深いところで感謝している。それだけで十分だよ。


何処からやり直していいか分からなかったけれど、バカを見ても信頼から始めよう、そう思って生きて来た。


かつて。これまでの経験の殆どは、おおよそ自分の非も含めて納得、合点がいくことで折り合いがついて前に進めるのだが、全く何が原因で何がどうしてこうなっているのか、何ひとつパズルのピースが合わない。


真面目に真摯に考える価値なんてない、お前がバカなんだという自分がいる一方で、本当にそうなんだろうか?という狭間で、何もかにもが闇の中。それでもやつぱり、ありがとうや感謝という気持ちしか沸いてこない。



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