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この歳になると、僕に進言する人なんて数える程しかいないのだが、同時にそれは自分の現在地を照らしてくれるとてもありがたい存在。ひとつ年下で、「オマエ」呼ばわりはいつも少しカチンと来るけど、ものすごくリスペクト出来る奴、てか凄い奴なので仕方なく屈服。本人の許可を得て転載しときます。俺みたいな学ばないニンゲンの何かの参考になれば。
曰く。
「オマエ、バカなんだよ。踏み台とか都合のいい奴とはまでは言わないが、オマエの使命はもうおしまい。ただの不満やグチ、本気で変わろうとか変えようという気にすらなっていないニンゲンにオマエが優しさと思いやりと正義感を持って本気度満点で接するからそうなるんだよ。オマエが放つエネルギーとか野性的な感性とかある種のスピリチュアルな部分とかがその人に伝わるとでも思ってんの?そうは思えんよ。オマエのように何十年もかけてニンゲンとしての野生を取り戻し、五感を研ぎすませ、感情と感性で生きて来たニンゲンが、極めて常識の範囲と理性で生きて来たニンゲンにその何たるかは伝わる訳はない。ただ少し目新しい世界を見せてくれた「珍しい人」「今までにいない人」「ちょっとあやかりたい人」「少し違う景色を見せてくれる人」にしか過ぎないんだよ。
自分の鉱脈を掘り下げるんじゃなく、常に相手は自分をどう思っているかというリトマス試験紙みたいな思考で自分の態度を決めるんだ。つまり、自分がない。そのことに本人は無自覚なのさ。自分で決めているようで、他人の決定に自分の可能性があるかないか常に相手の思考を探り確かめながら判断して自分の態度を決めるんだ。だからとても疑い深い人だと思う。信頼から始められないんだ。他人に委ねた決定を自分で決めたと思い込んでいる。何故って簡単に言うと怖れだよ。最小限のリスクで最大限の幸せを掴もうとする。リスクのないところに新たな可能性なんてある訳ないじゃん。あと、少し厄介な承認欲求もあると思う。
くだんのフィンドフォーン話だって、そのタイミングで何故そういう本が自分のもとにやって来るのか?今自分の目の前で起こっていることと、それがどんな関連があるのか?今、一番大切にしなければならないこと、人は誰なのか、どんな意味があり、自分が今取り組むべきことはなんなのか、偶然か必然かって自分の中の鉱脈を掘り下げて問いかけたなら、そのタイミングを逃さないはずだよ。たぶん読んだとしても、仲のいい友達と「意味わかんないよねー」と同調して冷笑されて終わる程度の話。自分のタイミングじゃなくて、人様のタイミングに委ねているから、自分が今優先すべき取り組むべき優先順位とかタイミングを全く履き違えて逃しているのさ。だからいつも「何だかタイミングが悪いなー」って思っていると思うよ。五感や感性に委ねて生きるタイプとは真逆なんだよ。色んな人間がいるから、どっちがいいとか悪いとかの話じゃない。人種が違うんだし、言語も思考も通じないと思えばいいだけだよ。だけど何処かで接点を持ちたいから、ソウルメイトなんてまやかしに走る。そんなのはこの件に関しては言葉だけで幻想だよ。変わらないことでしか生きていけない人と、オマエみたいに常に変化、変わり続けなければ生きて行けない人の違いだよ。ある種のスピリチュアルな話は、まるで通じないと思っておいたほうがいいと思う。
色んな視座に飛んでいるとはいえ、何だかもう、ホント、色んな意味で言葉を失うっすよ。
もう頭ガンガン痛いし、足も痛いし、毎日4時起きなんで、倒れられないので、寝るっす。
僕のモーニングルーティンの中のひとつに、辻仁成のツイッターと日記を読むというのがある。僕の中では作家、辻仁成ではなく、あくまでもECHOESの辻仁成。それでも今もこうして励まされていることに本当に感謝している。10代の頃、ECHOESの音楽に出会っていなければ、多分今頃はこの世に存在していない。ある種のニンゲンにとっては生きる希望になると思うので。
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