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最近、立て続けに若者たちのお悩み相談が絶えず。


今日は山の畑で作業していたら、麓に車を置いてサンダル姿で現れたでござる。

大丈夫かオマエ?先週も来たばっかりだろ?

僕の作業を何度も横で体験している奴なので、僕のこの時期の状況を理解できないほど空気の読めない奴ではない。

じゃないとサンダルで山を登って来ないっしょ。


話を聞けば、全然大丈夫じゃない危険水域。


僕に何かを相談・打ち明けたところで傷口に塩を塗られるだけだとわかっていながら何度も来るって、そりゃもう重症、末期症状なんだと思う。確かに、話を聞けば末期症状。オレならとてもじゃないが耐えられない。

何度も言ったけど「忍耐」と「我慢」は違うとオレは思うと、切々と。


基本、こういう類のものは「傾聴」して「共感」するにとどめておいて「ジャッジしない」っていうのが基本原則なんだと思うけど、わたくし「共感」できないものに「共感」するほどニンゲン出来ていないので、「それは違うと思う」「オレならそうする、或いはしない」みたいなことをハッキリ言います。

「共感」できないものに「共感」するほど僕は優しくないし、「いいと思わないこと」に「いいと思う」って言えないのです。だってそれって僕自身が感じたことに蓋をして背くことでしょ?自分が感じたこと、自分の感情に背くことは背信行為だと思っているんです。

単純に「同意」してもらいたかったり、感情を吐露してスッキリしたいんだったら、たぶんわざわざ僕のところには来ないだろう。それ、カウンセラーみたいなプロに行ったほうがいい。


ニンゲン、一生悩むのが仕事。葛藤するのも仕事。大いに悩んで苦しんで葛藤するが良し。

それが人間らしさたる所以なんだから。

しかし、人生は意外に短いし、明日の事なんて誰にもわからない。

ならば本当の自分の声に耳を傾け、何処かで決断し、それを実行するのみ。実現するか、叶うか、それはわからない。

常にそこには自分とは違う「他者」や色んな要因が存在する訳だし。


物語は他者に委ねるものじゃなく、自分で紡いでいくもんだよ。

夢と希望と愛と勇気を持って行くだけだろーーーー!!!!

って、半分は自分に言い聞かせるようにしゃべり倒したけど、果たしてオレ自身はどうなるんだ?

分からないから人生は面白いし、夢中になって取り組む価値があるんだと思う。


今日も一日、フルに使いきったでござるよ。お休みっーー。




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