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一本の電話を頂きました。
病気を患っていた夫を自宅で、最期は自分の腕の中で看取ったと。
最期にその男性が「夏に食べたスイカが忘れられない、本当に美味しいスイカを食べることが出来て幸せだった」と言って息を引きとったそうだ。
正直、打ちひしがれる事があると、たま~にですけど卑屈になってしまうことがあります。
所詮、野菜なんて毎日消費されていくだけのもので、人々の心や人生に決定打を打つようなものではないよなぁーとか。
まさか自分が取り組んできたことが、お逢いしたこともない人の「人生最期の言葉」として発せられるなんて思いもしなかった。
誰だって何だって真っすぐに情熱を注いでいれば、もしかしたら誰かの力や光になるのかもしれないね。それは生業としての仕事だけに限らないと思うし。
SNSで繋がってます的な繋がりを全く繋がりと感じられない僕は、こういう事で真の繋がりを感じることが出来ます。頻繁にあることじゃないけど、たまーにあるね。
最期の言葉かぁー、、、、
自分はなんて言うんだろう?ちゃんと発せられるような最期を迎えられるかどうかも不明ですが。
もし発せられるのだとしたら、誰にってことじゃないけど、ん~、、、「たくさんいい夢を、夢のような時間を過ごせてサイコーだったよ」とか言ってみたいなぁー。
なので、もうしばらくドリーマー兼夢想家でいようかなぁーと。
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