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クリスマスとは縁遠いと思われる、お寺に行ってまいりました。
十年ちょっと納骨堂に収めていたお骨を引き取りに。
春が来て、雪が解けたら散骨するためです。
生前、故人が「散骨してくれ」と言い残していた訳ではありません。
配偶者、子供もいないかったので入るべきお墓もなく、いずれ「永代供養」とも考えていたのですが、ここ数年の僕の死生観が大きく変化したことで、来春、散骨することにしました。それまでの間、我が家で越冬です(笑)メチャ寒い納骨堂より、暖かいでしょ?
古くからの檀家さんなら別だと思いますが、生前、お寺のお坊さんは彼のことなど全く知らない訳です。死んだ途端に縁もゆかりもないお坊さんに頼んで登場する訳です。
この10年以上あまり、亡くなってからも彼は僕の心の中でずっーと生き続けています。
毎年、お盆や彼岸に納骨堂に行くたびに、「ここで本当に彼の魂は自由になったのだろうか?」という悶々とした思いがありました。むしろ、生きていた時のほうが根っからの自由人だったので、納骨堂で窮屈な思いをしていないだろうか?とか。
ずっーと納骨堂にいて、古くからの慣わしに従って何処かのタイミングでお寺に永代供養をお願いする、もちろんありかもしれませんが、僕の中では、その選択肢はゼロになりました。
若い頃は全く想像していませんでしたが、今、僕はかつて彼の暮らした土地に暮らしています。
お寺やお坊さんの文化を否定するものではなく、彼が僕の心の中で消えることがなく生き続けているということが一番重要で、それに従って自然とそういう選択をすることになりました。
てな訳で、お骨と共に過ごすクリスマスです。
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