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プライベートと仕事、両方でお悩みの30代の青年。
プライベートでも会社のような組織でも、互いに敬意を抱けないような関係のところに身を置いている必要性なんてないと僕は思うのです。
例えば僕の大学時代、日本で一番の「右」の、しかも「体育会」。
今の時代なら確実に「人権問題」として扱われ、ヤフーニュースのトップを飾るようなことが日々フツーに行われていました。
理不尽極まりないとは言え、最後の一ミリで人を想う心、厳しさの中のほんの少しの優しさがありました。だから、そこで我慢して耐えるというよりは、その理不尽極まりないその裏にある優しさが伝わればそのハードルを越えようと思えたのが唯一の救い。
まっ、「ザ・昭和」なマインドと言われればそれまでですけど。
とにかく先輩も後輩も全てにおいて熱すぎるくらい熱い体温なわけです。賛否は別としてね。
その青年の話を聞くと、全く体温と言うものが感じられない。青年に体温がないという意味ではなく、彼が属している世界の人々がって意味です。
その世界の人達は感情というか、感じることすら麻痺してるのかもしれないね。
社員は誰一人トップの理念やヴィジョンに共感していない。
トップは社員のことをただの頭数と金ズルくらいにしか思っていない。つまり、互いに敬意を払っていない。
同僚は皆、生活、或いはお金を得るために、おかしいと思っていることを黙秘して給料もらえればOK。
定年間近の先輩たちはあと数年の我慢で逃げ切ることしか頭になく。
月曜から金曜日までひたすら我慢と見て見ぬふりをして、土日に娯楽とレジャーで気分転換。
てかさー、土日よりも月曜から金曜までのほうが圧倒的に時間が多いのにそれでいいのか?
それねー、自分は我関せずでクールに振舞っていても、そこに身を置いている時点で確実に自分自身のマインドとスピリットを蝕んでいると思うのです。
ニンゲン我慢は必要だ、理不尽も時には必要。けれど、そんな、互いに敬意のない世界、なんの体温も感じられない「我慢」と「理不尽」なところにいて、本当の自分を犠牲にして何になる?
「何とかなる」は他力や運任せではなく「何とかする」の裏返しだから、自分次第でなんとかなると思うよ。
キミがおかしいと感じているならそれはおかしいのであって、その声がキミそのものなんだから、キミ自身の声に耳を傾けたなら自ずと答えは見えてくるさー。
今日も激アツ30℃だったので、こってり濃厚でチャージ完了。
「たっぷり夏野菜の濃厚トマトソースのパスタ」
「トウモロコシの冷たいスープ」
「リースレタスとトマトとキュウリのサラダ」
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