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  • pan-farm
  • 2020年9月1日
  • 読了時間: 3分

ニンゲンとはなんぞや?

一体自分とは何者じゃ?

思えば、この答えのない問いを思春期の頃からずっーと問い続けていて、オッサンになっても答えなどは見つかるハズもなく、原発事故やコロナなどがあるとさらにその問いかけは増していく。

安易に答えを出してしまったり、問いかけをやめてしまったらペラペラなニンゲンになりそうで怖い。

「ニンゲンらしさ」と誰かが言うが、「ニンゲンらしさ」とはなんじゃらほい?

そのニンゲンらしさは、ちゃんと機能してるんだろうか?

ニンゲンらしさ故に、こんな世界になってはいないのだろうか?

どうしてニンゲンは(自分は)こうも可愛げがなく、犬のように可愛くなれないのか?

限りなく野生動物のようにいたいと切に思うが、十分それに近いのでそろそろニンゲンらしくなれと言われる。

だからニンゲンらしさとはいったいなんぞや?といつも思う。

どうしていつまでたっても想像力をもっと豊かな方に転換できないのか?

どうして勝手な想像で、勝手に断定し、勝手に傷付き、勝手に落ち込み、勝手に孤独ぶるのか?

どうして昨日も今日も、会う人会う人の第一声が「忙しいんでしょ?」とこちらが答える前に勝手に決めつけるのか?そうであってほしいのか、気遣いなのか、ただの挨拶なのか?

「忙しいんでしょ?」じゃなく「忙しいですか?」って聞けばいいのに、なぜ決めつけてくるのか?忙しくしていないと罪なのか?

どうして国のリーダーたちはそれぞれの思惑と駆け引きの騙し合いでしか向かい合えないのか?

いやいやリーダー達ばかりではなく、キミもボクもアナタもワタシも思惑と駆け引きだらけでちゃんと向かい合って本当の事を話さないから、だからそういう人を選んでしまうのか?

自由に生きているのではなく、自由に生きたいともがいてフントーしているだけなのに、どうしてそれだけで自分勝手な奴だと揶揄されるのか?

何故、規則やモラルや常識やコンプライアンスや上司や組織に忠実な人は「真面目な人」と呼ばれ、どうして他の誰でもない己の内なる声に従い忠実に生きるのが「ズルい」と言われるのか?いったいどっちが誠実なのか?

どうして「失恋」はあって「失愛」はないのか?

愛はどんな時もいかなる状況でも自分の中に宿すもので、どんな時も決して失うものではなく、失うとしたらそれは愛ではなく、恋はいつもその想いは相手に委ねられているものだから相手の想い次第で失うこともあるのだと誰かが言った。

おー、なるほど。となるとオレは犬にしか愛はなかったということになる。

結局のところ、答えのない無い問いの中でいつも眠りに落ちて、そして朝が来る。

 
 
 

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