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- pan-farm
- 2018年5月9日
- 読了時間: 2分
半径5㍍では、ありとあらゆることが勃発。
「総合的Life」の仕事は尽きることなく。たぶん、そんなお年頃。
にしても、「自立」という言葉は、場合によってはとても残酷だなーと。
「自立支援」という言葉をよく耳にする。
高齢者であれ、寝たきりであれ、認知症であれ、障害のある方であれ、金銭的困窮者であれ。
「可能な限り自立した生活を」
どこか尤もらしい言葉ではあるけれど。
結果、誰にも頼れず「自分で何とかしなければ」的な、自ら積極的に自己責任的思考への迷宮入り。
この言葉の解釈や擦り込みが歪曲されると、結果として多くの不幸を生み出しているのかもしれない。
「自立」って何だろう?と思う日々。
それって、誰にも頼ることなく生きていくことなのだろうか?
本当の「自立」とは、誰にも頼ることなく生きていくという呪縛からも、自由であるということなのかもしれない。
子供であれ、親であれ、配偶者であれ、兄弟であれ、頼る先が固定化されてしまうと、その当事者が、相当に不自由を感じている場面に多く遭遇する。
きっとその関係性が、あまりに固定化されてしまうからだろう。
言葉のニュアンスとして正しく伝わるかどうか分からないけれど、自由であること、自立しているということは、たくさんの依存先や頼ることのできる関係、「もう無理、助けてくれー」ということを言える関係、そういったある種の「逃げ場」を持つ、ということなのかもしれない。
今の社会にそういう空気感はないけどね。
ならば、自分で作ろう。
こんなことは、若い時には思いもしなかったけれど、経年劣化が止まらないもうすぐ51歳。
最近は、そんなことを実感させられる日々。
では、本日のお休み前の1曲。
何度もアップしていると思うけど、まあそんだけ好きなんだろうね。
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