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- pan-farm
- 2018年3月14日
- 読了時間: 2分
政治家であれ、官僚であれ、親であれ、子であれ、友人であれ、ボク個人であれ。
結局のところ、自分が「執着」した「そのもの」に自らが苦しめられ追いつめられるという悲劇と喜劇。
安倍某、麻生某、それらにぶら下る「全ての長きに巻かれるハイエナども」を見て思う今日この頃。
カネ、地位、名誉、名声、実績、財産、子供、親、老後、安定、保身、エトセトラ。
都合の悪い事をなかったことにする術、絶対正義を持ち出して自らの欺瞞・傲慢と向かい合わない人、ツラっとこいて計画倒産をして何事もなかったかのように再生しているかのように見せかける人、エトセトラにエトセトラ。
3.11以降、それらに「執着」「固執」した人々の行く末を散々目の当たりにして思うこと。
大切にしたいこと、ニンゲンとしての気品・品格として大事なことは、「執着」ではなく「愛着」を持つこと。
「執着」は結局のところ、隅に追いやってみて見ぬふりをした自己矛盾がブーメランのように自分に返ってくるだけ。
「愛着」は、例えそのすべてを失ったとしても、それらを過ごした「時間」や「モノ」や「人」に感謝し、慈しみの気持ちを持って、次に進めるということ。
結局のところ、「求めずに与える」ということでしか、本当に必要なものは得られない。
さて、来週からは種まきと育苗作業が始まる。
では、本日にお休み前の1曲。
いつだって、ニンゲンとしての気品と品格を保つための道標となる変わらぬ曲。
気高くあるということはどういうことなんすかね?
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