days
- pan-farm
- 2017年6月21日
- 読了時間: 3分
引き続き、激烈な日々、継続中。
まあでも、このくらいのほうが、頭が冴える。
次から次と、瞬時に判断して決断しないと前に進まない。
迷っている暇も、ゴチャゴチャと熟慮するような暇もなく。
意外と、そのほうが結果として良い判断をしているときのほうが多い。
そうだね、スキーとよく似ている。
どんどんスピードが増してくると、視界は狭くなり身の危険は次々と目の前に現れ、バランスを保つことにも必至。
咄嗟の判断が命取りにも、そして至福の時間にも。
どっちに転ぶかは、オマエ次第。
瞬時に判断、つーか体が反応しないと、即アウト。
なんにしろ、そういうギリギリ感のところでいるのがスリリングで楽しい。決してマゾではないと思っているのだが、、、、。
さて、そんな日々の中、今週の土曜日は今年2本目のライブです。
若い頃、10代とか20代とか。
誰でも少なからずあるであろう、自己否定と自己肯定の繰り返し。
今思うと、それはとても大切なプロセスだったような気がします。
あまりに早く自己肯定が過ぎても、何処か薄っぺらで浅はかな。
あまりにも長い時間自己否定をしていても、これまた、とてつもなくめんどくさいことになり、タチの悪い自己憐憫の罠にハマったり。
50歳になって、若い頃のそれとはまた違った意味で、未だそのプロセスの過程にいる感覚。
そして今日という日が人生で一番若いということ。
人生は、かようにめんどくさい。けど今は、それ以上におもしろい。
この曲がリリースされたのは、1993年。
色んな意味で、当時相当インパクトがあった。いや、あったよマジで。
オレは20代半ばくらいかな。
東京在住、大学を卒業し社会人デビューから数年、みたいなところか。
まさにその自己否定と自己肯定の激しい振り幅の真っ只中。
無軌道な焦燥感と、自分でも手に負えない得体の知れない感情とエネルギーが日々高速で入れ替わり、「東京」という「big city」の中で、完全にピンボールのように弾かれていた。
できれば、向かい合いたくない自分。認めたくない自分。バレて欲しくない自分。何もかもエクスキューズにすり替える自分。傷ついているフリをしている自分。胡麻化している自分。結構、友達いるのに孤独ぶっている自分。その余韻に浸っていることこそがカッコイイと思っている自分。
嗚呼、最悪の極み。思い返しただけで、吐き気が、、、。
この頃、恋人に付けられたレッテル(レッテルではなく事実なんだけど)は「濡れ落ち葉に
かかし野郎」でした。笑うところですが、これまたまったく笑えない事実。そして激しく残念。
そんな、できれば伏せておきたくて、他人さまには知られたくない自分の中の「卑しくやましい」ところを、ザックリと露わに突きつけられる歌。
目の前に鏡を突きつけられて、それと向かい合うしかない状況。
逃げることは、すなわち自分自身への敗北。
この頃、1980年代前半から1990年代半ばくらいまで、時代を席巻していた音楽の中には少なからずそういう歌があったと思う。
「さあ、キミならどうする?」
いつもそんな風に鼓舞されていた。
今はそういうのあるのかな?あまりわからないけど。
何にしろ、当時この曲は相当なインパクトがあった。
あれから随分と時が流れて、自分も含めて人はどう変わり、何が変わらないのだろう?
僕自身、ヒットした代表曲しか知らないけれど、どことなくその存在自体に勝手な「親近感」と時代と格闘し潜り抜けてきた「同志」みたない感覚はある。
まあ何のご縁か、こうして時を経てライブの企画に関わらせていただくのもまた人生。
今週の土曜日、まだ若干チケットあるのでお時間のある方は是非遊びに来てください。
なんと、北海道でのライブ、18年ぶりだそう。
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