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  • 2016年7月26日
  • 読了時間: 2分

凄惨な事件が起こるたびに思う。

オレがその被害者の当事者だったらどう思うだろうか、、、と。「あんな奴は死刑にしてしまえばいい」と思う自分がいる。ないと言ったらウソ。

一方、ハナクソを穿りながら酒を飲んでブラウン管を見ている自分は、「まあ、憎んでもしゃあないしょ。死刑にしたところで何の解決にもならんよ」と、呑気で非当事者的な自分もいる。

加えて、「加害者」の気持ちというか「思考」というか「行動原理」というか内包している「狂気」みたないなものが、かなりの部分で「理解」できると思えてしまうことが、相当オイラの性格をややこしくしているのだなーと。錯覚かもしれんけど。

かつて、オウム事件があった時の空気感を今も忘れない。

誰もが、理解不能の「カルト」と認定したことで、余計にその本質がわからなくなってしまった。

誤解を恐れずに言えば、彼らの「狂気」とオイラの「狂気」に、どれほどの差があるのか?

オレが「オウム」に行かなかったのは「たまたま」だったのかもしれないと、本気で思っていたし、今もそう思う。

饒舌な屁理屈で名を馳せた上祐某は、「まんま、オレやん」みたいな。

オレが「あっち」へ行かなかった理由はすごく単純で、単に「ヘッドギア」がダサいとか、「あの服はないだろー」とか、そんなレベル。

たまたまオレには他に夢中になるものがあったり、圧倒的にカッコイイ「3分間のロックンロールミュージック」に惹かれたりしていただけの違いだと、今も思う。

ニンゲンは、どちらにも転がる可能性はある。紙一重だなーと。

ふと、ピート・タウンゼント言葉を思い出した。

「ロックンロールは、別に俺たちを苦悩から解放してもくれないし逃避させてもくれない。 ただ、悩んだまま躍らせるんだ。」

久しぶりに聴いたなー。このイントロだけでスイッチが入っちまうぜー。

 
 
 

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