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  • 2016年7月14日
  • 読了時間: 3分

例えば、歌の中で多用されてきた「アイ・ラブ・ユー」という、とんでもなく使い古されたワンフレーズ。

同じ言葉でも、「ズドン」と響く人もいれば、まったく響かない人もいる。送り手の問題ではなく、かように受け手であるオイラの感性の問題なんだけど。

同じく、政治家と呼ばれる人の言葉。

例えばオイラに限って言えば、山本太郎の言葉は響くけど、三宅洋平はまったく響かないとかね。返す返すも、受け手であるオイラの感性の問題で、彼らの善し悪しの話ではない。大局的にみて同じ方向であることに異議はなく。

でも、こういう差異っていうのは、他の誰でもなく、オイラにとってはとても大切。常に自分の感性に従うって意味においてはね。

例えば石田純一。政策云々という以前の、あの「前のめり」感、そしてあの一見ブザマな撤退。まったく打算がなく、自らの能力・置かれている立場も顧みみず。拠って立つところの動機はただ一つ、「個として突き動かされる危機感」のみ。故に、冷静さに欠け、とっ散らかっているように見える。人々は云う、「政治の経験も勉強も何もしてないくせに」。でも、だから何?素晴らしいじゃないの。とても共感するよ。

例えば鳥越俊太郎。小池・増田に比べ、政策論では劣る?まあ、そうかもね。加えてジャーナリストとしては絶望的に雄弁ではない。だから何?お二人の「プロ」に比べれば、その言葉と眼差しは、都民ではないオイラにだって確実に響いてくる。

政治にプロなんて必要なのか?プロに託していったい誰のためになってきたのか?

眼差しや志、それがどこに向いているのか?

政策通のプロに何かの「ご利益」を「期待」したり「託したり」してきて、いったいどれだけの詐欺にあってきたのか?

どうせ託すなら、アホで真っすぐなニンゲンの、居ても立っても居られない「突き動かされる動機」のほうを信じてみるけどね、オレは。

夢を見ていた 夢の中では全てが明るく公正だった その後眠りは覚まされた けれどその夢はまだ私の側にある 輝きの谷では 純粋な空気の存在がまだ認められているから 私の知覚は新たに開かれ 目覚め、そして泣き叫んだ 人々には力がある 愚か者の仕事を贖うだけの力が 優しい人々からは限りない慈悲を得る力が その力こそが 人々の支配を可能にする 人々には力がある 執念深さは疑惑に変わり 聞き耳を立てるため身を低くかがめる 自分達の耳を持っているからこそ 兵士達は前進を止めた 羊飼いと兵士は星空の下で横たわり 腕を横たえて 夢を語り合う 輝きの谷では 純粋な空気の存在がまだ認められているから 私の知覚は新たに開かれ 目覚め、そして泣き叫んだ 人々には力がある 砂漠があった場所に 私には泉が見える クリームのような水しぶきが上がる そこで私達は散歩をしたの 笑わない人や批評する人や 豹や子羊たちと 共に横たわりましょう 私は望んでいた 私の望みは、私が見つけたものを呼び戻すこと 私は夢を見ていた 私の夢は、神のみぞ知る、眠りへ誘われるような、純粋な視界 私の夢をあなたに託して 人々には力がある 人々には力がある 夢を見る力 物事を判断する力 地球を愚かなものたちから闘いとる力 それゆえに人々は支配される 聴いて 私達の夢見るすべては、団結することで実現できると私は信じているの 私達は世界を変えることが出来る 私達は地球を革命出来る 私達には力がある 人々には力がある

 
 
 

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