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北の国から 2023・夏「郷愁」

これだけ暑いと、大人たちの挨拶は決まって「暑いですねー」と。

冬に雪がガンガン降ると「雪、要らないっすよねー」と。


その点、子供たちはそんなことは言わないよね、夏は夏で遊びまわり、雪が降ると学校帰りに雪玉ぶつけてるもんね。


大人になるとどうして子供頃なんとも思っていなかったことを理不尽に感じるんだろうね?

あんだけ虫取りとかしてたのに、家に虫が入ったり庭の畑や花に虫が付いただけで大騒ぎしたり、ちょいと手で抜けばいいものを除草剤バラまいたり、とかね。

わたくしがいつまでも「おこちゃま」なだけとも言えなくもないけど。


ところで、子供の頃の「夏の原風景」ってありますか?

わたくし、昭和42年生まれ、「ザ・昭和」な残党だと思うんですよね。


「夏の原風景」。

それがその後の、或いは今の自分に大きく影響しているってことってないですかね?


母方の祖父母が農家だったので、この時期、幼少の頃はいつも畑で遊んでいました。

畑ではいつも裸だったと思います。お手伝いさんを含めた大人達10数名はトラクターで掘り起こしたジャガイモをカゴに入れて集めていくのです。

子供たちは湧水が湧く沢の小さな川でザリガニ採りをしたり、森のほうまで行ってはクワガタやカブトムシ、セミ採り。畑に大きな穴を掘って落とし穴を作り、大人達がそこに足を踏み外すのを陰から覗くのが楽しみでした。

郊外の広大な畑の隅には休憩小屋があって、10時の休憩にはお祖母ちゃんが作った大きなスイカを食べて、お昼もお祖母ちゃんが作って来てくれたお弁当を皆で食べて、お昼寝。


高校生になると夏休みは祖父母の家に泊まり込んでいました。

朝は4:00に起きて冬のスキーのために自主トレ。

6:00からジャガイモ掘りの手伝い兼トレーニングを兼ての肉体労働、というかこの頃には立派なアルバイトとして大人と同じ賃金も頂いていました。確か、当時で日給7,000円くらい貰ってたと思う。

祖父母の跡を継いでいた叔父からトラクターの操作を教えてもらい、広大なジャガイモ畑を縦横無尽にトラクターを操作、ほぼその作業は任されていました。

これが、メチャ楽しかった。


夕方には叔父のトラックに収穫した大量のジャガイモ積んで、青果市場まで一緒に行きます。たくさんの農家が色んな野菜をトラックに山積にして青果市場に入ってきていました。


帰って来ると19:00くらいで、お祖母ちゃんが作った夕食を摂ってお風呂に入って、深夜までラジオを聴くのが日課。勉強なんてただの1分もした記憶がございません。

ラジオからはその後の人格形成の核を成すたくさんのロックンロールミュージックがガンガン流れてきて、それは雷に打たれるというか、押さえきれないエネルギーに火を注がれた感じで、とにかくいてもたってもいられないくなるのです。

夜中なのに祖父母の家からチャリを漕いで友達がたむろしているところまで出かけてはラジオでかかった音楽のことや女の子のことを語り尽くし、朝4時には戻ってきてまた自主トレするみたいな日々。いったい、いつ寝てたんだろうね?


高校3年の夏休みの最後の一週間は畑のアルバイトで貯めたお金で、何故か突然最北端まで行ってみたいという衝動に駆られ、最初はトレーニングも兼て自転車で行こうとも考えたのですが、どう考えても3週間は必要だよなぁと断念。

ヒッチハイクと鈍行列車を乗り継ぎ、稚内に到着。そこからフェリーで礼文島まで行った。スマホも携帯もない、そんな未来が来ることを誰も想像していない時代。時刻表と地図とラジカセだけが頼り。不便だなんて感じたこともないっていうか、それが当時用意できる最先端のツールだったと思う。持参したカセットテープはbruce springsteenの「born to run」1本のみ。道中、ひたすらイヤホンで聴きながら最南端の函館から北上する。親にはちょっと「礼文島まで行ってくるわ」、みたないな感じ。


フェリーの中はライダーやチャリで日本一周している大学生やヒッピー崩れみたいな人達で溢れ、僕は最年少で一人リックをしょってポツンといたので、何やら思い立ってここまで辿り着いたと思われたらしく、とにかくたくさんのお兄さんお姉さん達に「思い留まるよう」説得?話し掛けられた(笑)

僕の本当の目的は礼文島の浜辺で採れるというメノウ石。その石で作ったネックレスを当時大好きだった女の子に礼文島まで行ってプレゼントとして買って帰るという極めて不純且つ純粋な動機だったのに。

浜ではテントを張ってその石で作ったアクセサリーを売っている人がポツンといたので、それをゲットした。やはりその人も何処かヒッピー崩れのような風貌だった。


名前はもう忘れたけど、島の日本最北端の岬まで行ってみた。その先の岩場にトドの群れがたくさんいた。売店があって、何でもかんでも「最北端」って名前が付いていて、そこで「最北端牛乳」ってものを飲んで、何となく「最北端」な気分を満喫した。


泊った民宿は、大学生のグループやライダー達がたくさんいて、そこでも最年少の僕を心配するお兄さんお姉さんたちに声を掛けられ、夜の宴に参加するよう促されたが、僕は一人部屋でラジオを付けて過ごしてみた。なんと、微かではあるけれど、ロシア語というかサハリンからの電波をキャチできて何度も何度も感度が合うように周波数を合わせてみたりした。


大学で上京してから20代丸ごとは全然違う世界を夢中で駆け抜けた。今ここでこうしている自分なんて1ミリも想像してなかったし目指したこともなかったけど、不思議なことに子供の頃の「夏の原風景」を体現しているという。色んな事がね、確実に身体というか細胞に刻まれているような気がするなぁと。


中学、高校と一番夢中になったのはブルース・スプリングスティーン。

もちろん今も夢中ですけど。とある人物に言わせると「浜ちゃんにとってのボスって、つまり宗教みたいなもんじゃん」って。はい、正解です(笑)

とにかく、眠っている野生とか生存本能とか、何かの行動を後押し、引き上げるてくれるには充分過ぎるロックンロールミュージック。

今もこれを聴いて奮い立たない自分になったらそれはもう、僕の感性が腐ってるってことで、「魂のリトマス試験紙」みたいなもんです。


同じ曲ですが動画二つ挙げときますね。ビッグマン(サックスの人)の晩年とその息子。

またこの息子とのショットがね、泣ける。男の友情、いいでしょ?ホント、泣けるなぁー。


女子から見て男の友情ってどう映るのかなぁ?理解不能?でもね、男同士の友情、ソウルメイトっていうのはさ、女子には申し訳ないけど、踏み込めない領域って感じでね。むかーし、女の子と友達がね、「男友達が少ないと言うか親友のいない男はダメ男」って言ってた女子いたなぁー(笑)

わたくし、無類の女子好きで女性の親友もいるけど、男の子の友情ってね、別もんなんですよ。どうか、ご理解を。


訳詞が気になる人はネットで検索するとすぐ出てくると思うので是非。




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