believerとdreamer
時々やって来る、ジェットコースターみたいな日々。
人生、何処に着地するか見えていたら面白くないね。
そんな意味では、ここ最近はなかなかにして面白い日々。
安心とか安全な着地地点を求める人もいると思うけど、わたくしあまり興味ないです。
思い返せば10代、20代と、今ここでこうして暮らしている姿なんて1ミリも想像していなかったし、目指してもいなかった。いつだって、今だって何処に行くのか、何処に着地するのか不明。Where are you going now?
そんな意味では、積極的に明確に目指すべきものなんてなかったなーと。
でもその都度、これにはどんな意味があるんだろう?
取り組むべきことか?
与えられたミッションなのか?
好きか、嫌いか?
そんなことをあまり熟慮しないで、スッと決めて来たら、こうなったと。
熟慮してしまっていたら、可能性を吟味して殆どの事は諦めていたと思う。
今年に入り、色々と生活がかなり変わった。
実家が取り壊され、80歳のママは隣に家を建てた。
古いものが好きで、20代の頃から既にアンティークという領域の家具や食器や照明を自分で直しながら愛情を注いできたものを中心に、細部に渡って120%自分の好きなものだけに囲まれ暮らしている。
別に介護が必要とか全然そんなレベルじゃないけど、色んな理由で僕もママの家で過ごす時間が多くなった。
こんなふうになったのも偶然ではなくて、ひとつひとつの舵をどっちに切るかで全然変わっていただろうなーと。ちなみにママは、僕が東京から戻って来るなんてことは1ミリも想像していなかったんだと。
そもそも、僕が畑をやると決めなければここに住んで自分の家は建てていなかっただろし、となると、今隣にあるママの家なんて当然ないのである。ホント、こうなるとは1ミリも想像していなかったね。
で、ここ最近は良きこともそうでないこともまるで想像していないことが結構起こるんだけど、僕が思うに、生粋の「believerとdreamer」って、たった1つの小さな事実を自分自身の創造力で10にまでもその物語を書き加えられるのだなーと。そうやって一つずつ、不確かな未来を自分の手元に引き寄せて行くのかもしれない。
そんなことをとある人物に言ったら「あっ、それ想像力ではなく創造力ですよね、それは決して自分を裏切らないですもんね」と。
なんかね、そういう感性がピンと来る人は、老若男女問わず、心のいいね!ボタン押しちゃうね。
逆にたった1つの小さな事実を、自分自身の否定的なマインドであっさりと幕を下ろす人もいるしね。まあ、感性とか情緒とか、その営み方の違いなんだろうなーと。
それにしても、必然的にママと会話する時間も多くなりました。
以前は殆ど、しゃべりませんでした。実家に寄っても家に上がることはまずなかったし。
僕の友人達に、「あの人いったいどういう人?」と我が息子のことを聞いて回っていたくらい。苦笑。
今でも十分にブッ飛んでると思うけど、女学生時代の話を聞いて捧腹絶倒。
「モガ」であったことは薄々聞いてはいたのだけど、黒人文化への憧れが強く、レイ・チャールズのレコードを買い集め、雨の日はわざと傘もささずにずぶ濡れになり、ロクに絵も描かないのに画盤を脇に抱え、街を裸足で歩き、jazz喫茶「想苑」でマイルスとかコルトレーンを訳も分からず聴きに行くのだとか。
なんでそうしたの?と聞くと、誰もやってなかったし、それがカッコイイと思っていたと。
ということで、最近僕のCD漁りからヴァン・モリソンにハマり、その経由で改めてレイ・チャールズのCDを注文せよと言われたので、僕も初心者で一枚も持っていなかったので、注文して改めて聴いてみました。
いやはや、何と言うかそのー、凄まじいっすよ、生へのエネルギーとかパッションとかが。
で、今日は下北沢の古着屋でしか売ってないような、サイモンとガーファンクルの古着ヴィンテージのロンTを着てたので、「そんなの何処で見つけて買うの?」と聞いたら、「知らん」と一蹴。ガラケーの携帯もロクにいじれないのに、オレも出来ないヤフオクとかメルカリを誰かに頼んでやってんだろうか、、、?
謎、且つ脱帽、ある意味凄まじいっす。
ブラックホールから抜け出した僕は、今日もcaravan三昧です。
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