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ここ数年の度々の豪雨。雨水処理が上手く機能せず、その度に自宅前が冠水するという場所に大切な人が住んでいる。僕も2,3年前にその現場に遭遇して愕然としたことがあります。


素人目には、どう見ても市道の雨水処理に問題がありそうだったので、あんまり奥の手は使いたくなかったけど、友達の市議に相談して現場を見てもらいました。

何度か現場に足を運んで水平器と古い街並みの下水道の地図などを駆使して調査もしてくれたみたいで。なんと昨夜もあの豪雨の中、現場に駆け付けてくれていたそうです。

感謝、感涙。


例え行政の壁でコトが上手く進まなくても、何とかしようというその人の気持ちって心を動かすもんだと僕は思っています。それが、市議とか友達とか知り合いとか家族とか、そんな立場に鑑みて自分の行動を決めるような人に僕はなりたくない。動機は何とかしたい、それだけでいいじゃん。僕もその市議も、イデオロギーも政治的信念も超えているんだね、ただ何とかしたいそれだけ。


誰に対してでもできる事ではないけれど、せめて大切な人がいるならば、真ん中に思いやる気持ちと愛と、それが行動として現れていれば、それが全てでいいと僕は思う。


畑の状況を心配してくれてのたくさんの電話、メール、line、本当にありがとー。思いやりと愛しか感じないっす。重ねてありがとーございます。

昨夜の豪雨もそうだけど、今シーズンの雨量と日照不足はもうどうにもならない感じで、特にこの雨量に関して言えば作業と労力だけは何倍も増えるばかりで、いいことはひとつもない。

雨が引くタイミングがなかなかやって来ないので、機械が入ることが出来ず、じゃがいもの収穫が出来なかったり、秋作のキャベツ、白菜、カリフラワーなどの苗が行き場を失って死滅して行ったりしている状態。


みんな等しく困難な時代を生きていると思います。


函館のコロナ感染者は人口比で言えば、10人に1人は感染した計算。

現場で働く人の善意に委ねてばかりで、全く無策の政治。それを選んでいる、変化を望まない、現状維持の人々。

コロナだけでなく、気候変動による猛暑とか豪雨とか災害とか。

終わりの見えない戦争と、その煽りとか。

劣化と縮小を再生産するニンゲンの魂の在り方とか。


知り合いで同年代の精神科の女医さんが言っていた。若者だけでなく、同年代でこの先の未来を悲観する人が増えていると。私自身も精神のバランスを保つのが難しいし、私も自分で眠剤を処方していないとやっていけないんですと。大変な仕事だよなーと。


何処かで聞いた言葉だけど、50代半ばから50代後半は「喪失」の時期なんだって。

親の死、或いは介護。子供の独立、或いは独立できない子供への不安(80/50問題じゃなくて、80/50/20問題と言うそうだ、やれやれ3世代かよみたいな)。夫婦関係の変化、或いは離婚。夫・妻の死や、或いは病気・介護。自分自身の病気や身体機能の低下と気力の低下。老後への不安と現実に迫りつつある死への恐怖などなど。


これまで築き上げてきて、当たり前に「そこにあったもの」が少しずつ自分の手を離れ、一人のニンゲンとして死んでいく準備段階、孤独とどう向き合うかという時期なんだそうだ。


もう、15,6年以上も前の事だと思うけど、一度だけホスピスで働く人の話を聞いたことがある。


愚問だとは分かっていたけど、「死を迎える人が最期のほうで語ることは何ですか?」と。


曰く

「後悔を抱いていない人は、まずいません。親の言いなりの人生や、自分の本心とは別の何となく周りに流されながら生きてきた人の後悔は、なかなか払拭することは難しいと感じます。多かれ少なかれ、誰しも自分本位に生きられないっていうことはありますよね。親だったり世間体だったり。それでも最後は何処かで折り合いを付けないと自分の人生に納得がいきませんから、多くの方が感謝の言葉を発します。

極まれにですけど、一切の後悔もないという人がいます。強がりの部分も見え隠れはしますが、そういう方は周りがどうこうではなく、どんなに困難でも本当に自分の感性や感情に忠実に貫いて生きてきた人なんだろうなあと感じます。周りとの差異がある分、生きている間は生きずらさとかしんどいことや苦悩が多かっただろうと想像します。そもそも多少強がりの部分はあったのでしょうから。でも、そういう人は、最期はもう強がらずに済むからなのか、本当に安堵した表情で笑顔で逝ったりするんですよ。その安堵した表情と笑顔は私たち現場の人間にとって、生きる意味、人生とは?という一番の問いかけなんです」と。


どう生きるかってことが分からなければ、どうやって死にたいかを考えればいいのかもしれない。

すると今日一日、どの声に従い、どの声に忠実に生きればよいのか、少しだけ炙り出されてくると思う。


「ありがとう」という感謝の気持ちと言葉は、良きことが与えられた時にだけ返す言葉ではない。困難や理不尽なことにでも心からそう思えて、「life」そのものに「ありがとう」と言える、そんなニンゲンになれたらいいなあと。簡単な道のりではないけれど、でも僕はそうありたい。


今夜も雨で、警戒レベル3のままです。向こう一週間も雨マークです。函館のコロナも収まる気配はないけど、落ち着いて夜を過ごして、明日も少しだけ元気出していきましょうね。


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